私は26歳の時に、アトピー性皮膚炎で強制入院しました。その時のショックが大きく、何度かTwitterで呟いている。同じ経験の人が読むことで、気持ちが表面へ出てきて、溜め込んだものが吐き出されたら、嬉しい。
入院してください
私は強制入院だった。当時は顔が真っ赤だった。“おでこ”からは膿が出ていて、陽の光を浴びるのが苦痛だった。化粧もできず、醜い姿を鏡で見つめ、嗚咽して泣いた。
7年前 強制入院
町医者に通ってたが
アトピーは悪化する一方で
大学病院へ行ったら
「入院してください」と即診断
泣いて 泣いて 泣いた
二十代半ば 悲惨な姿の女
再発した後悔はあるけど
この経験があるからこそ
語れる言葉がある
回復したら
私はアレルギーの人たちを
助ける仕組みを作ります
— AIKO (@Goodbye_allergy) 2019年2月10日
健康な身体
入院した時には、私は心身を消耗していた。もう動けないし、動きたくない。何も考えられなかった。
3月11日になると思うことは「大切な人を守れるのは“健康な身体”がありき」ということ。この入院した経験を思い出す。何かが起きた時のために、私は身体を整え続ける。
今日は3.11
翌年2012年 私は入院した
震災後から仙台へ
日々の仕事が忙しく 疲労を蓄積
大学病院へ通院した日
即日入院するよう診断された
ステロイドが効かない
真っ赤に腫れ上がった
ボロボロの身体
約半月 ベットで寝たきりの26歳
何かが起きた時
大切な人を守れるのは
健康な身体がありきです
— AIKO (@Goodbye_allergy) 2019年3月10日
少しでも助けられる人
人はショックすぎると記憶を無くすというけれども、そんな体験だった。どんな治療をしたのか、何を言われたのか、何を食べていたのか思い出せない。
7年前 大学病院 強制入院
ステロイドを塗りたくられ
包帯に巻かれた身体に泣いた
外を出歩くことも禁止され
遠くの窓から景色を眺めた
あまりにもショックすぎて
風景も季節も覚えてない
罪悪感 無気力 深い悲しみ
息するのも苦しい生活
同じ立場の人いると思う
少しでも助けられる人になりたい
— AIKO (@Goodbye_allergy) 2019年3月13日
まとめ
全体的に「大変なご苦労されたのですね」という文章かもしれない。
見たくないものを見てきた。真っ暗な中にいたからこそ、自分で光を追い求めて、生きてきた。同じ境遇の人たちに、寄り添おうと強く決めた。
最後に、あるTwitterの呟きを載せて終わりにします。全ては素晴らしい経験。
身体が真っ赤になる
心へポツリと黒い影
特異な皮膚なのか悩む
自分が壊れていくのでは
ないだろうかという不安
黙って消えてってほしい
でも 私にとって命
肌がなければ生きていけない
その感情を
胸に抱いて離すこと出来なかった
すっかり暗くなった夜道を歩く
黒は黒なりの風合い 優美だった
— AIKO (@Goodbye_allergy) 2019年3月31日